2012年1月1日日曜日

被っているもの

「なぜウサギの着ぐるみを?」
と、ドニ―は聞いた。
銀色ウサギは答えた。
「お前はなぜ、人間の着ぐるみを?」

「ドニ―・ダーコ」(2001・米)という映画の中で、
空想癖のある少年ドニ―。フランクというウサギが
ドニ―を未来に連れて行ったりする。
フランクは実はドニ―の友人で、ドニ―は未来へ行かなければならなかった。
未来と現在が行ったり来たりする為、難解な映画。
しかし頭の会話のやりとりが、
最後まで私の脳にこびりついていました。

人は、人間の着ぐるみを被って生活をしている。
普通の生活。寝る。美味しいものを食べる。
歩く。寝る。お風呂に入る。人と会う。綺麗だねと言う。
人間の姿かたちをした、実は「中のひと」が
そうふつうの生活をしているのか、
はたまた外側の着ぐるみが、そうふつうの生活をしているのか。
きれいな花を見て、「まぁ、きれい」と言う。
それは(きっと)中の人。花におべっかを与える必要はない。

綺麗と言われている女性D、年齢は五十歳手前として
Dさんは、着飾って見える。
皺のある手に真っ赤なネイル。
スワロフスキーたっぷりの携帯カバー。
きらきらした金色のアクセサリー。ちょっとやり過ぎだ。
年不相応にみえる。
そのDさんの友人Bが、自分にとって必要な人とする。
たとえば私は「Dさんは綺麗ですね」と言う。
それは私の「中のひと」か、「外の着ぐるみ」か。
私は素のDさんを知らない。
Dさんは綺麗かどうかはどうでも良い。
Dさんは私を必要としない。
でも私はDさんの友人のBさんを必要としている。

着ぐるみを脱いだら中の私は、
人間の形をしていないかもしれない。
でも脱ぐ必要もない。
着ていなきゃ、人間じゃないから。


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