2012年1月31日火曜日

友人の、あの声。

なんだか嬉しくなる声がある。
聞いたことのある声は、
耳が覚えているという。

一度だけ、声を褒められたことがあった。
わたしは自分の声がきらい。
しかし、嫌な声じゃないわと言われたそのときは、
とても嬉しかったのを覚えている。

2012年1月29日日曜日

クワズイモ、死す

愛するクワズイモが、昨夜、死んだ。

根腐れか?


彼との出会いは、実は表参道のお花屋さんであった。
クワズイモとは、Alocasia macrorrhiza Green Parasol(グリーンパラソル)のこと。

これを購入するきっかけが、わたしのバイブル、「ピースオブケイク」の
主人公の志乃ちゃんが、育てていたからだ。

クワズイモは、春から夏にかけて、めちゃくちゃ育つ。
それを形容すると、すくすくどころの騒ぎではない。
とにかく葉が増え、伸びに伸び、生命さえ感じる。(大袈裟じゃなくて。)
そして、何が可愛いかというと、滴を落とすところ。
葉の先っちょから、ぽとんと滴を垂らす。
なにか、生きるものの「訴え」のようにも感じてしまう。
とにかく愛らしい。

バリに旅行にいったとき、宿泊したホテルの中庭にびっくりした。

クワズイモパラダイスあるいは、クワズイモカーニバル。


ホテルのレストランで、働いていた男の子に、この葉っぱの名前はなんというのか尋ねた。
すると彼はこう言った。
「ばら、そう」

ばらそう?
ではなく、「 Parasol パラソル」だった。
少なくともバリの彼らは、そこらへんにうじゃうじゃしているクワズイモちゃんたちを、
「パラソル」と呼ぶのだった。

緑色のパラソル。
かんかんの陽ざしをしのぐ、グリーンパラソル。


私のクワズイモは、今年の夏、子どもを産んだ。

根元から、初めまして。


その子どもも、元気とは言えない状態だ。
花は枯らす私は、植物を育てる資格がない。

しかし、私がどこかのお花屋さんでクワズイモと目が合ったら、
懲りずに買ってしまう気が、どうしても否めない。
なぜなら、私には特別な「グリーン」だから。




2012年1月28日土曜日

天使とか奇跡とか

とか、
運命とか、天使からの贈り物、だとか。

わたしはそういうものを、一切信じない。
一度運命に似た出逢いを感じてしまったなら、
二度目は?
偽の運命になってしまう。

「出逢い」に「これもなにかの縁」というのはあると思う。
たとえば人身事故で遅れた電車で出逢った、とか
キャンセルに空きが出たところに出席したときに出逢った、とか
今日でラストのアルバイトの時に出逢った、だとか。

そういう出逢いかた、は嬉しい。嬉しいし、どうしても
素敵なエピソードとして胸につよく残る。

The Family Man(2000)という映画を、
知人にすすめられた観た。


今はウォールストリートでばりばり株投資会社の社長である
ジャック。今日がクリスマスであることも忘れるほど、
頭のなかは仕事のことだらけ。


しかし13年前、ジャックには愛しい恋人、ケイトがいた。
彼は仕事のため、ケイトと別れた。
在るクリスマスの夜、
ある出来事により13年前に別れなかった人生が
くりだされる。


「今」(=社長)の感覚を持ったままの
ジャックと、二児のママであるケイトとの
会話に溝がうまれる。

あのとき、もう一方の選択肢をチョイスしていたら・・?


だっれでもあるだろう思惑を、主演二人とも素敵に思える。

ただ「仕事」と「仕事以外のこと」を、シーソーに乗っけるという、
やっぱりどっちも大充実することなんて不可能なのかしら。

2012年1月24日火曜日

家族のこと

家族に関して言えることは繋がっているということだけ。
愛情とかは二の次だと思う。


My Sister's Keeper (2009)

という映画のあまりの「泣けさ」に、
ティッシュが底をついた。

5人家族のうちのひとりが、癌。なおらない。

1日でも延命をと必死な母、娘と妻には思うようにさせてやりたく口出ししない父、
長くないとわかっている病気の長女、
崩壊してゆく家族を見ながら自分は構ってもらえない淋しさのやり場なき長男、
大好きな姉のいうことは何でも聞いてあげたい妹。

性格や抱えている悩みはそれぞれ異なるが
家族という同じ枠内にいてることを、
どこかで誇りに思うお話し。
フィッツジェラルド家の5人は、とてもとても強かった。
ひとりひとりが。

一度観た時あまりに泣いて、
母に送るつもりでDVDを購入した。
内容を知っているはずなのに、
その家族のあまりの強さに、私の涙腺は勝てなかった。

母は私の3倍泣くだろうな。



2012年1月23日月曜日

雨を踏む

雨を踏んづける靴が、例えば買ったばかりの牛革の靴 ―58,000円もした靴 だとしたら、
その日はショックで、きっと家に帰ってもショックで、
物欲に絡んだ、勝利した自分の名誉が傷つけられたみたいで、
落ち込んでしまう。

「コートって、出逢いですからね」

と、ミニマム可愛い店員さんのこぎつねみたいな笑顔にずきゅんと討たれた私は、
ねずみ色のコートを購入した。

おニューを着た日に限って、雨。
何年か着ているコートの日の夜は晴れて、星まで出ていた。

世のなか不条理でできているとは
こういうことの積み重ねでしょうか?

天気予報を確認しない言い訳にプラスして、
傘を持たない賭けごと。
うっかり、今日は惨敗だった。

たったの1秒

1秒に1回、
宇宙のどこかで恒星が爆発し千億もの星を集めたよりもまばゆい光を宇宙に放つ。
(2007Marth/,national geographic より)

1秒に関して私は最近無駄に使ってしまっている気が、どうしてもする。
前はなかった。
それは携帯電話をスマフォンにしてからだ。
ぐるぐるぐるぐる、まわる、ルーレットのような更新中アイコン。

どうしても接続が遅く、例えば画像を開くにしてもメール更新を待つ時間にしても
貴重な1秒の連続を、私はかなり使い込んでしまっている。

その待った1秒の先に、わくわくがあったり
大事な連絡があったりするから1秒を待機しないわけにはいかない。

今、この世界で求められているもの。
何よりもスピード、
確実な正確性より、速さな気がしてならない。
その正確さというのはきっと自己の判断に任せられている。


2012年1月16日月曜日

恋することの意義

ザロメ(Lou Andreas-Salome)という女性の存在を知った。

適切かどうかは分からないが、簡単に言うと魔性の女で、
その翻弄した相手が皆すごい才能の持ち主だったことで有名だという。
哲学者のニーチェ、パウル・レー、詩人リルケ、精神分析学者フロイト

とある記事では、人は自分のことを完璧に理解されたと感じると、
その理解してくれた相手に恋に落ちるとある。しかも本気という。
褒められたい、賞賛されたい、同意を得たい、ではなく自分自身を
理解されたい。
そこで彼らのような、哲学者たちが自分の思想だったり自分の物語を
ザロメという女性に見いだされたことで恋に落ちてしまった。
僕のことを心から理解してくれたのは世にも君だけだよと。

しかし彼女は、恋愛に関して、自由奔放な生き方をする。
恋人になったからといってそこでゴールなわけではない。
開拓、それが彼女の生き方だった。
彼女たちを本気で愛してしまった彼らは悲恋の終章を迎えることになる。

恋をすることは有意義であると思う。
時に感情が高まったり、揺さぶられたり、果てしなく落下をしたりする。
でもそれが人の醍醐味。
PCはヒートアップして熱を出すことはあるけれど、
わんわん泣いたりできない。
どんなにテクノロジーが進化して二次元の異性と本気の恋愛や
もしかしたら性行為が認められて夫婦になったりする未来が来たとしても、
「生きている人」に、私は恋をしたい。



2012年1月12日木曜日

出逢う

どうしても、よく会う人がいる。
それは仕方がない。同じ時間に同じ道を通るのだから。

そういう人は通勤やお買いもの含め、10人位はいるんでないかと思う。
しかしその中でも、気になる人、頭に残る人は2、3人。
そしてそれはすべて異性で、しかし「この人タイプだなぁ」と思うわけではなく、
なんとなく、気になって放棄できない、顔。
ものすごく濃いだとか特徴があるわけではないが
その3人位は私のなかで、「あ、どうも、また会いますね、こんにちは」と
頭のなかで一応挨拶的なことをしたり、しなかったり。

「こころにのこる顔」と言われて嬉しいか光栄かどうかはさしあたって微妙ですが、
「ぴんとくる」は、人間だれしもがある。
それこそ「あたし、この人タイプだわ!」という直感も「ぴんとくる」内に入ると思う。
そのぴんとくる、が、
どうか悪しき未来に繋がりませんように。

今夜は東京で、雪。
窓ががたがたうねって、寝られない。
明日は、晴れますように。

2012年1月6日金曜日

二度目

一度目は、初めてのこと。
それっきり、もある。偶然もあるし、成りゆきもあるし、意味がないこともあるし、
ミス、で済まされる場合もある。

Deception(2008・米)という映画を観た。
邦題は、「彼が二度愛したS」。
イニシアルSで始まることしか分からない彼女をあいしてしまった
ジョナサン(ユアンマクレガー)が、
不思議な秘密情事会員になり、恐ろしい脅しに遭うというお話し。


何事も二度目から意味が生まれるんだなと
思った。
二度目は偶然であっても約束であっても
一度目じゃない。
必然の場合。
三度目に繋がる。
一度目は、あまり意味がないのかも知れません。
一度、これっきしな時もあるだろうし、
二度目はないとよく言うでしょう
二度目が、どこかで永遠に繋がる?
それは努力次第かも相性次第かも知れませんが。


三度目のなんちゃらとも言いますが
二度目を越えた三度目。
意味を持つのは二度目。

2012年1月2日月曜日

秘密

好きな相手に、どこまで喋ることが出来て、どこから秘密にしなければならないか。

「ナイロビの蜂」(2005・英)という映画で、
弁護士のテッサは、外交官である愛する夫ジャスティンに
死にいたるまでひみつにしていたことがあった。


「お前は庭いじりにしか興味がなかっただろ」と、
妻が殺されたあとに妻の秘密を詮索する夫に、浴びせられた言葉。
妻が関わってきたひみつとは、大きな製薬会社の陰謀。
言葉を浴びせたのは、妻と一緒に陰謀を暴く為戦ってきた友人。

愛とお仕事は、完璧べつもの。
それはその通りと思う。

男女のあいだにはきっと何億もの隠し事が埋まっていて、
それは愛が例えば深くなり
減ったとしてもこんどはまた別な秘密が増加したりすると思う。
よってすべて消滅するなんてことはない。

テッサの強さは、
愛とはべつもの。

アフリカの情勢を、
すこし目を背けたくなるシーンが多々あった。
面と向って観られる映画じゃなかった。
私はもっと本気に生きなきゃと思った。

薬って、相当
お金になるんでしょうね。
サプリメント軽い中毒のわたしはその価格について
もっと知っとくべきだと勉強にもなった。

2012年1月1日日曜日

被っているもの

「なぜウサギの着ぐるみを?」
と、ドニ―は聞いた。
銀色ウサギは答えた。
「お前はなぜ、人間の着ぐるみを?」

「ドニ―・ダーコ」(2001・米)という映画の中で、
空想癖のある少年ドニ―。フランクというウサギが
ドニ―を未来に連れて行ったりする。
フランクは実はドニ―の友人で、ドニ―は未来へ行かなければならなかった。
未来と現在が行ったり来たりする為、難解な映画。
しかし頭の会話のやりとりが、
最後まで私の脳にこびりついていました。

人は、人間の着ぐるみを被って生活をしている。
普通の生活。寝る。美味しいものを食べる。
歩く。寝る。お風呂に入る。人と会う。綺麗だねと言う。
人間の姿かたちをした、実は「中のひと」が
そうふつうの生活をしているのか、
はたまた外側の着ぐるみが、そうふつうの生活をしているのか。
きれいな花を見て、「まぁ、きれい」と言う。
それは(きっと)中の人。花におべっかを与える必要はない。

綺麗と言われている女性D、年齢は五十歳手前として
Dさんは、着飾って見える。
皺のある手に真っ赤なネイル。
スワロフスキーたっぷりの携帯カバー。
きらきらした金色のアクセサリー。ちょっとやり過ぎだ。
年不相応にみえる。
そのDさんの友人Bが、自分にとって必要な人とする。
たとえば私は「Dさんは綺麗ですね」と言う。
それは私の「中のひと」か、「外の着ぐるみ」か。
私は素のDさんを知らない。
Dさんは綺麗かどうかはどうでも良い。
Dさんは私を必要としない。
でも私はDさんの友人のBさんを必要としている。

着ぐるみを脱いだら中の私は、
人間の形をしていないかもしれない。
でも脱ぐ必要もない。
着ていなきゃ、人間じゃないから。