2011年11月29日火曜日

可愛いおばさん

おばさん、とは失礼なことばにきこえてしまう。

しかしここで言うおばさんとは、けして不愉快だったり中傷する目的で指すわけではないので赦して欲しい。
私はよく行く公共浴場で顔を合わせるおばさんがいらっしゃる。
お姉さんと言われる年齢ではない。

しかし、可愛いのだ。
敢えて言うなら、チャーミングという可愛さ。
いつもにこにこしながらお花のタオルを細く白いからだに巻きつけている。
セクシー、や妖艶、ではなく、可愛いのだ。

彼女はおそらく45歳くらい。(私の推定ですが)
子どももいる。ほかの主婦たちとは、明らかに異なる「可愛いオーラ」。
初雪のように白く、は言い過ぎだけれども、
体全体が白く、うさぎのようなくりくりしたおめめ。


私がオバさんになっても

本当に変わらない?

とても心配だわ

あなたが

若い子が好きだから



この歌が大好き。
若い子の可愛いでは全く出せない可愛らしさを見習うべく、
私はあの浴場へ足を運ぶ。

2011年11月28日月曜日

イギリスのおしゃれなよにんぐみ

もちろんBeatlesのことである。
わたしの父が好きで、よく書斎からは曲が聴こえた。
MICHELLE,
All you need is love, yellow submarine, Love me do,
Hey Jude、、、

ジョンが亡くなったのは、わたしの生まれるすこし前だった。
しかし母はまるで知り合いかのように、その死を悼んでいた。
「そんなにすごい人だったの?」
「音楽の才能のあるひとだったのよ。」
子どものころのことで明確には覚えていないが、そんな感じのことを言っていた。

私はその彼らについて何かを語れるほど、何も知らない。
しかし、「素敵な曲」だと感じることはたしか。

ある日、とある雑貨屋でこどもたちが歌うBeatlesを聴いて、なんて可愛いの!
すぐさま店員さんに、なんていうグループですかと聞いた。
すると店員さんは言った。
「有線なんですよ。イングリッシュキッズチャンネルという」
私はがーんとし、ネットで調べてみるものの、女の子の歌うものが出てきた。
こどもはこどもだが、聴いたのより少し上手い。ちょっと違うんだよなぁ。
もっと「ザ・子ども」って感じのBeatelsなの。

するするそのことを忘れていたある日、品川の雑貨屋さんで、
出逢った。

"kids Bossa presents"

買ったのはつい先週の話しですが
以来、毎日掛けている。
和む、とはこのことです。
おしゃれなよにんぐみに、感謝。
彼らには永遠に、横断歩道をスタイリッシュに横断してて欲しい。




2011年11月25日金曜日

損得

私の先生はよく言う。
「もうわたしはね、損得とか考えないよ。下心とかなんにもないよ。きみにうまくなって欲しいだけよ」
先生の笑顔はほんとうにきらきらしている。
先生のお孫さんは私と同じ年齢。私を孫のように可愛がってくれる。
私は先生に出逢い、
なにかを超えたら「損と得」という意がなくなるのではないかと思った。
何かとはきっとすごい数のハードルやら壁やらのこと。先生は得も損も重要視していない。
ただ私がうまくできたときに、満面の笑みでわらってくれる。

続けることだね。
継続は財産なり、といっしょの先輩は言った。力なり、ではなくアセットなり。
しかし財産を、得なしにばら撒いてくれる先生は、
ほんとうにでっかい何かたちを、超えてきたのだわ。

私もいつか、と言うは易し。
継続。まずは継続。

2011年11月22日火曜日

おとなに

なったら、わたしは何をしているのかなぁと
やっぱり子どもの頃私は考えていたと思う。
幼稚園の「しょうらいのゆめ」の欄には、
お決まりの「おもちゃやさん」と書いてあったのを記憶している。

トイザラスにお勤めしている方で、
わたしと同じ答えを、「しょうらいのゆめ」欄に書いていたら、完璧なかたちで叶えている。
やきゅうせんしゅ、と書いていた野球少年がリアルにプロ野球選手になってしまったら。

人生がまぁ野球だとして、1イニングが10歳だとして、パーフェクトゲームを達成できた人間選手っているのかな。90歳で完封?でもそれってあまり人間っぽくはない。
第一野球に例えたら対戦相手がよくわからない。
もう一人の自分?

だとしたら、今は完璧負けてるわたし。

勝たねば。

2011年11月20日日曜日

Blue


私は一番すきな色は水色。
ターコイズブルー。
ものに関して、浮気性のわたしですが、
どうしてもその色を選んでしまうので、
私の本能はきっとその色を愛しているのだと思う。
ブルー、とつく色、が世のなかには多いのだった。

レイニーブルー。
ティファニーブルー。
マリッジブルー。
スカイブルーに、ディープブルー。
マタニティブルー。
世界中の女子の話題をさらった
ケイトミドルトン妃が結婚会見で着た、イッサロンドンのドレスの
ロイヤルブルーは2011年に限り、
「プリンセスブルー」。

でも共通して持てるブルーも世のなかには存在する。

某ねこ型ロボットブルー。
男は黙ってハイライトブルー。


「#から始まる6ケタで言ってよ?」
なう的に言うと、facebook-Blue="#3c5a98"?
twitter-BirdBlue="#24bff5"??
言えないよ。そんなの覚えられないわ。

色責めの話しのわけは、
「色盲?」と言われたことを思い出したから。
ちょうど一年くらい前に、一緒に六本木の美術館に行った方に。
その人が暗いとコメントした画を、私は暗い画とは思えないと答えた。
それは色覚異常ではなく、感じ方の違いだ。
好きな色は、その人によって全然違う。
情熱の赤が好きな人もいれば、漆黒のひともいる。
それこそ十人十色な。

でもわたしがシャガールの描いたブルーが好きなのは、
彼の描いた画に馬が飛んでいたから。
お空に飛んだ馬や牛の、お目目はきらきらしていた。
あんなに深い「青」をみたのは、
きっと初めてだったと思う。

2011年11月19日土曜日

why?

「なぜ?」と、
ピノキオはジェペットおじさんにしつこく聞いた。
なぜ、と聞くことは、その答えが知りたいから。当たり前のことですが、そうでもない世のなかみたいです。自分で調べなさいと。すぐ「出てくる」でしょう、というわけです。

生活をしていくとなぜだろう、と思われることに多々遭遇する。しかしそれはハードルなんかじゃなく、湧き出るお水のようなもの。どうしてこのひとはこんなに暑いのに長袖を着ているのだろう。どうしてこの人は頭にうさみみをつけて地下鉄に乗っているのだろう。どうしてむじなそばと言うの?なぜ空は青いの?なぜ電柱に頭をぶつけるの?

Why?

Why not me ?

そこにも、そのこたえにも、きっとたくさんのアンサーが在ると思う。
それを受け入れることは、自分のどこか欠如を認めること。それに伴って自分の敵の優位性を認めることでもある。自分の足らない部分を、埋める努力。いっぱいある。そして増える。

人間は、不完全な生きもの。
だから、向上する生きもの。
覚えること。努力をすること。前に進むこと。力強くいようとすること。

あんなにも輝いている人を、
私は別な角度から見てはいけない。

どのみち完璧な正方形にならなくっても、その形に近づく、という気持ちがだいじと思った。
Why?
こたえにくい質問は、するべきじゃない。



2011年11月14日月曜日

母からの手紙

私の母は、手紙好き。
メール手段がない母は、私に手紙をよこします。
内容は、以下のような「日常の」こと。

猫がひなたぼっこの位置を変えた。
おじいちゃんが蟹をとれなくなった。
近所の建設現場が撤退して淋しい。
紅葉が満開。

私がことばが好きなのは、母の影響だと思う。
彼女は確かに毎日文章を読んで、なにかを書いている。私は子ども時代のことを思い出す。
留守にすると、うちの母は殴り書きのメモ紙を、食卓のテーブルに置いてゆく。
書道に携わっているのに、あまりのスピードで書き綴るため、字が連なりすぎるのだ。

わたしたち兄弟は、よくそのことについて文句を垂れた。
そうすると母はむくれた。

私は上京してからも母からの手紙を読んでいると、すごいスピードで書いたのだろうなと感じる。
しかしあるときたまたま母からの手紙を鞄に入れておいた私。
知り合いの大学の先生に冗談にして見せた。あまりにも連なり文字で読めないときがあるのです、と。
すると先生はおっしゃった。
「綺麗な字だな」
私はふと葉書に目を戻す。

先生に褒められた母は、きっと口に手をあて喜んでいる。

2011年11月11日金曜日

替わってゆくこと

ひとは替るものだと、だれもがしっている。
私はそれについて、幾ときも考える。朝はあのひとのことを考えて、でもあの人じゃない人と話して笑って楽しくなってしまったら、つぎのひの朝はあの人じゃない人のことを。
そうじゃなければ頑なな心の、熱心さに私は脱帽する。

律して私はここに存在を余儀なくされ空気を吸い、吐きだす。
ああ、明日は晴れるかしら。洗濯をしたい。白い壁を、何かべつな色に塗りたい。

でもきっと塗ることはないことを知っている。
だって賃貸なんですもの。ただの空想の範囲。私は助け舟を求めて、女子のいる場に同席をする。
お腹が痛いわけではないけれど、ただ曇った夜空を一人して帰ると、背後を歩いている足音が気になって仕方ない。安全な日本、凶悪犯罪は今や廃れている。
ただ、替わっていくことは、さみしさを持ち、共感でき、そして向上心の糧となる。

成長の著しい?
人にとって、そんな素晴らしいことはないと思う。
ただその伸びを成長と評価するのは、あくまで第三者だった。
鉄棒遊びをしていると、自然に背骨が伸びると聞いた。なら毎日鉄棒トレをするべきだと。
成長したい。




2011年11月7日月曜日

からさ

私は辛いものを求め、それでいて辛いものを食べると、やっぱり苦手かも知れない、と思う。
刺激、をほっしているわけではないと思う。
でもカレーが食べられるようになったのは、大きな邁進だ。

そんなにも、こんなにも、日本人は辛いものを求める国民ではない。
でも辛いものを食べる前のわくわく、は、ジェットコースターでトップまで登りきるそれに少し似ている気がする。
ちげ、だの、ぷて、だの、ぎょぷ、だの、韓国という隣国の、私たちのおっとり国に染み入る度胸と、あんなにも家族を大切にする教育環境。宗教、だけではなく、きっとホームの暖かさは、とても強いものと思う。離れてはいるけれど、
切ることはできない血の色は赤。
赤は暖色。

目黒駅のグンちゃんという居酒屋にて、濃ゆいお顔のぐん様ポスターで埋め尽くされた壁を見ながら、飲みながら、私はそんなことを考えていました。

2011年11月4日金曜日

ORANGEにまつわる

講師の先生が言った。
「オレンジが嫌いな人っていないですよね」

ぎくっ、と、思った。
私はオレンジ色が好きではない。
嫌い、なのではない。苦手な色なのだ。

私は夏、カラフルなTシャツだのワンピースだのをわざとチョイスして着る。
それは、「冬だと茶色や黒のなかで浮くけれど、夏は派手派手な色でも浮かないよね」と誰かが言っていたのを聴いたとき、私は妙に納得した為だ。そしてアパレル営んでおられる知り合いの方にこうも言われた。
「君は顔が地味めだから、ピンクだの緑だの着てみるといいよ」
それも妙に納得した。以来、服屋に行くと私は、大好きなブルーや茶色以外の色とも目を合わせるようになった。しかしクロゼットの中に、オレンジ色をした服は、一枚もない。下着ボックスにも、くつ下ボックスにも、その色は存在しない。

朝、私はオレンジを食べることがある。
前の日に買っていたら、の話し。
ジューシーで、みずみずしく、しかし甘みがいやらしくない。
オレンジという果実は大好きだ。
しかし持ち物やお洋服で、オレンジとなると・・。

奴が、時たま、おしゃれな色、だということも認知してはいる。
差し色として ORANGE がすっと入っている場合。

要は悔しいのかしら。奴がグッジョブをするから?
ノウ。
そうじゃないの。
ジャイアンツカラーだから?
私は某竜ファンだけれど、そうでもないの。

オレンジは、ハッピーという単語を想像させるから。
根暗な私は、あきらかな明るさに、とても弱い人間なのです。

2011年11月2日水曜日

地鶏にまつわる


最近、知り合った人との会話。
A「君はどこ生まれなの」
私「秋田県出身です」
A「へぇ、じゃあ比内地鶏を知ってるか」
私「もちろん知っていますよ」
A「あれは美味いね。びっくりしたよ」
私「私、比内地鶏を食べたことがないんです」

するとAさんは、その鳥についてを教えてくれた。
「純系」比内地鶏は、「食して」はいけない。
純系というのは何も混じっておらず、その比内のみで
成長した地鶏。天然記念物だという。
一般的に出回っている比内地鶏というものは、
一種のブランド名で、例えば千葉産比内地鶏というのも
比内地鶏として売られているのだそう。

Aさんは、鳥に詳しかった。
A「じゃあ、君、君が食べている卵をちょうどいい温度で
愛を込めてあっためたら、どうなる?孵る?」
私「うーん」

彼は、君がもし食べる生卵は無精卵だから、いくら愛を込めて
あっためたって、孵化しないのよ。
有精卵、無精卵ということばを私はすっきり忘れていた。
そうだ、ニワトリは交尾なしに卵を生めるのだった。

卵が特に大好きというわけではないが、
炊き立ての新米ごはんにかけた、生卵の黄色い幸せは、
他のフードには替えがたいと本気で思います。

もし、
炊き立てのごはんのうえにヒヨコがぴよぴよしてたら?
ホラーだけれど、無邪気なこころでそのヒヨコを撫でてあげたい。

2011年11月1日火曜日

象にまつわる

その昔、奇かいな姿をした男がいた。
人は彼をこう呼んだ。”Elephant man”.
と、いう映画(1980米・英)を観ました。

エレファント・・確かに象さんの鼻のあたりの皺、は美しいものではない。色もダークに近い灰色だし、キリンのような縦に伸びる優雅さはない。エレガント、に言葉は近いが・・
エレファント・・でもなんだかそんなふうな、今風自由の象徴な映像を、私は観たことがあったと思った。思い出した。
”Elephant”(2003米制作;ガス・ヴァン・サント監督作品)。

高校内大量虐殺事件をモティーフに、ティーンエイジャーの葛藤を描いたお話し。黄色いTシャツを着た男の子にちゅうをするポスターが、頭に残っていた。あの頃の私は今頻度よりもっと映画等映像を眺めていたが、私はあまり共感した記憶はなかった。10代の頃の、これ、この気持ちは一体どこに投げたらいいのよ、という叫び声は、思わず枕のしたへ。男の子は金髪にしてみたり、女の子はアイライナーを使ってみたり、レースのついたパンツを買ってみたり。
背伸び、はいいことだ。
でもその叫びのいきどころを、真剣に真剣に悩んだあげく、彼は狂気を持った。

象?なぜ象?

背伸びじゃなく、伸ばした鼻の先に、うつくしい未来があるかしら。
エレファントマンが美しい母の姿を月に重ねる。
フレデリック医師の美しい奥さんに会い、彼は言う。
「こんなに美しいひとに優しく接してもらったのは初めてです」


ひとはやっぱり、「美しいもの」に憧れ、求める。求められた美しいひとやものだってきっと、己よりさらにうえをいく美しいものを憧れとしているのだと思う。

詩編23:4
たとえ深い陰の谷を歩もうとも、わたしは何も悪いものを恐れません。

陰の谷を、彼は歩き続けた。でもその谷を歩くには、何らかの光があったからでは。だいじにロケットに入れてあったうつくしいお母さんの写真。光、はどうしても、うつくしいもの。