2011年9月6日火曜日

tree of life

宗教という人間の思想に、上限も下限もない。
いわば天に届いてしまう場合もあり、逆に実際見たこともないだろうに地獄というアンダーグラウンドまで作り出してしまう。宗教というものはほんの触りに、誰かが誰かに対する「教え」から始まる。
多くはそれが自分の「親」から発行される。
「子」は、受動態でしかない。

この「tree of life」という映画を観て、一つ思い出した映画がある。
1998年の米映画「アメリカンヒストリーX」という映画。
トニー・ケイ監督作品、エドワード・ノートン主演であり、
話しの内容としては、白人至上主義の青年が若さと知性を武器に、黒人への人種差別・貧富の差を題材にしたものである。

この主人公が、白人至上主義という服を着始めた理由の発端は、
その父親であった。
若い時期(大きくは子どもの時期だと思う)に親から浴びせられる言葉、
また小さな呟きであろうとも、子どもはそれに従う。それが正しい事だとと思う。
子は親を理屈抜きに信頼しているからだ。
それくらい、実の親が子どもに与える影響力は大きいのである。

なにかを尊崇している。例えば、哲学者、物理学者であったり
何か功績を成し遂げた同業の人。好きな歌手、俳優。先輩、父親、母親。
例えばその人が、自分と異なる考え方だときづいたとき。
さてどうしよう。
その人へのリスペクトを安易に止めるか、自分の考えを曲げるかのどちらかだ。

宗教心というものについては深く知っていない。
しかし人の考えかたというのはふっと湧き出たり雨のようにぽつんと降ってきたりはしない。
誰かに必ず影響されて、この方向にたどり着きました、という過程だと思う。
自分が歩いてきた道がくねくねしていたとしても、
誰かのある一言で、ぽっきんと折れ、
180度異なる方向へ、進むかもしれない。明日からは。

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