2011年9月9日金曜日

恋について

「BRUTUS」という雑誌の今月号。
蒼井優ちゃんが首を傾げすくめながら、
「恋の、答え。」という表紙にきゅんとした私は、思わず手に取っていた。



文字通り恋、についての特集で、色んなジャンルの歴史人物目線からの
恋を垣間見ることができた。
わかりやすかったのはただの「恋愛論」や「恋の哲学」等ではなく、
恋の「アンサー」についてを組んでいたこと。
恋愛なんて本当に個人的で感情が流れを左右するものだから、人がこうあるべきという正論は存在しない。
そういう押し付けがましくなさに好感があった。

恋をすると周りが見えなくなる。
そういう言葉を聞いたことがある。
周り、とは
①自分の周りにいる異性、人間。
②もしくは自分の仕事や趣味、習い事、勉強していること等、形のあるもの。
 
周りが②であれば大問題だ。恋に関わったことにより起こった人災になってしまう。
①は、いい。
好きな人、「恋をしている人」がいると言える自分を、自分自身が認めているからだ。
他の異性は目に入らなくなる。
たとえ他の異性にきゅんとすることがあってもきゅんどまりだ。
その恋をしているお相手のことを妄想し、自分だけで羅列され繰り返される生活に侵入させること。
この世界に存在するすべてのものに著作権やらが肖像権やらが存在すると先生はいうけれども、
妄想域で留めておけば何の問題もない。
「恋をしているわ」とはっきり言える状況があるのは素晴らしい。

しかし、相手に自分の「好き」という気持ちを押し付けてしまう人もいる。
それについてはいかがなものかと思う。
もともと自分発信で恋に落ちてしまった人が、自分を好きになるなんてそんな気持ちの相互関係こそ
ミラクルと呼んでしまってもいい位の域だと思う。


勿論自称動物的に生きており、「メスなら誰でも」という殿方もいらっしゃる。
しかしそれは恋ではない。

妙に、妙に心に残っている、言葉。
「ずっと忘れられない人を初恋と呼ぶ」


その論でいくと私の初恋は高1だった。
その人を想うだけで涙が出てきた。精神病の切り口だ。
症状としては常に揺れ動めく状態が継続していること。
脳がとりつかれてしまうこと。由って原因の理由は内因にあたる。
恋煩いという素敵な日本語が教えてくれるように、恋をすることとは
恋をしてしまった、恋に落ちてしまったこと、との表し方のほうが正確ではないか。

私の好きな作家の江國香織さんの「東京タワー」という物語の有名な一文。
「恋はするものじゃなく、おちるものだ」

落ちてしまった
   ↓
落ちりっぱなし。
現在完了形か?

その「落ち方」については多分誰もが予測していなかった出来事。
しかし落ちてしまったからには、落ちてしまった相手の存在を大事にしたい。
そういう心身の欲求がぽんぽんと付随して、
恋に落ちた代償の大きさを知る。



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